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東京地方裁判所 昭和62年(刑わ)1951号 判決

主文

被告人を懲役一年に処する。

未決勾留日数中一〇日を右刑に算入する。

押収してある磁気テープ一巻を被害者株式会社京王百貨店に還付する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和六〇年一二月一三日ころ、東京都新宿区西新宿一丁目一〇番二号小島ビル四階株式会社京王百貨店経営企画室において、同会社の顧客である京王友の会会員名簿(会員数六万五一八九名)が入力された同経営企画室長Aが管理する同会社所有のコンピューター用磁気テープ一巻(磁気テープ自体の時価約一〇〇〇円相当)を窃取したものである。

(証拠の標目)《省略》

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法二三五条に該当するので、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役一年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中一〇日を右刑に算入し、押収してある磁気テープ一巻は、判示の罪の賍物で被害者に還付すべき理由が明らかであるから、刑事訴訟法三四七条一項によりこれを被害者株式会社京王百貨店に還付することとする。

(量刑の理由)

一  本件は、被告人が、勤務先である被害会社の電算室からその顧客名簿を入力コピーしたコンピューター用磁気テープ一巻を窃取したというものであるが、以下に述べるとおり、犯行の動機、態様等において悪質であるのみならず、窃盗事犯としては極めて特異かつ重大な結果を惹き起こしたもので、被告人の刑事責任は重いと言わなければならない。

1  本件犯行の動機は、いわゆるサラ金業者等に対し数百万円の借金を抱えていた被告人が、その返済及び生活費、遊興費等の資金を得るために顧客名簿をコピーした磁気テープを売却して利益を得ようとしたことにある。被告人が右多額の借金を抱えるに至った経緯には、妻との不和、妻の不倫行為の発覚さらには別居生活等により精神的動揺をきたした被告人が、飲酒遊興に溺れ、その出費のため経済的にも逼迫したという事情が認められるが、本件犯行当時、被告人は被害会社から月額約四〇万円近い給与を受けていたのであり、被告人に妻と協力し合い円満な家庭生活を築こうとする意思と努力があれば、本件のような事態は防ぎえたものと思われ、むしろ被告人の自省心を欠いた生活態度が本件犯行を招いたというべきであって、動機において酌量の余地に之しい。

2  次に、本件犯行は、大担かつ周到に遂行されたもので、犯行態様においても悪質である。すなわち、被告人は、被害会社が顧客の統一管理のために作成していた顧客名簿統一マスター磁気テープをあらかじめコピーし、それと本件磁気テープとを用いて、情報買受人の希望に合わせて編集加工した磁気テープを作成、売却するという周到な計画と準備の下に本件犯行に及んだもので、その計画性は明らかであるのみならず、自己の職場において職務行為を装って何くわぬ顔で犯行を遂行している点において、極めて大胆な犯行であると言わなければならない。

3  また、本件犯行は、被害会社の被告人に対する厚い信頼を裏切り、その地位を悪用してなされている点において、極めて背信的である。すなわち、被害会社にとって被告人は勤続十数年に及ぶベテランの有能なコンピューター技術者であり、犯行当時、経営企画室情報開発担当開発業務係長の地位を与えられ、被害会社の重要な営業機密である種々の顧客名簿が管理されている同企画室と被害会社の小滝橋配送センターの各電算室に自由に出入りし、そこに設置されたコンピューターを操作し、作業用磁気テープ等を帯出することのできる立場にあったのを奇貨として、被害会社の被告人に対する厚い信頼と与えられた地位を私利私欲の目的で悪用したもので、被害会社に対する被告人の背信性は重大である。

4  さらに、本件は、通例の窃盗事犯にはみられない極めて特異かつ重大な結果を及ぼした犯行である。被告人の窃取した本件磁気テープには、百貨店である被害会社にとって極めて貴重な顧客名簿という営業上の機密が入力されていたのであり、これが一旦社外に流出すればそれ自体の財産的価値が減少することはもちろん、被害会社が一般顧客や取引先との間に永年培ってきた社会的信用を大きく失墜させ、有形無形の莫大な損害を与えることは容易に察せられるのであって、このような結果をもたらした被告人との間に被害会社が示談をする意思を有しないのも当然と思われる。また、本件犯行が被害会社を信頼して「京王友の会」会員となり、自己のプライバシーにわたる情報を提供した顧客に対する間接的な侵害性を有する点も無視することができない。そして、情報化社会といわれる現代社会においては、このような重大な結果をもたらす本件類似の犯行が常に発生しうる状況が存在しており、かつ将来ますますこれが一般化するであろうことを考えれば、本件犯行は一般予防の見地からも容易に看過しえないものと言わなければならない。

5  なお、本件犯行は、約二年半の長期間にわたり繰り返し被害会社から多数の顧客名簿をコピーした磁気テープを盗み出し、それを前後一八回にわたり途中まではYを介し、後には自ら直接社外のリスト販売業者等に売却し、総額二〇〇〇万円を越える不正な利益を手にした一連の犯罪行為の一部をなすもので、本件犯行がただ一回だけの偶発的なものではなく、右全過程を通じて被告人に規範意識の著しい欠如が認められ、本件が発覚しなければ更に同種犯行を繰り返していた可能性が相当に高いことに照らしても、犯情は悪質と言わなければならない。

6  以上の諸事情に鑑みれば、後記のような諸情状を考慮に入れても被告人に対し、その刑の執行を猶予することは相当でない。

二  しかし、他方、本件に至る経緯には妻の不倫行為等による家庭内の不和という事情も認められ、被告人に全く同情の余地がないわけではないこと、本件を含む一連の顧客名簿コピー磁気テープの盗取、売却の背後には、実質上の共犯者ともいうべきYの売込み活動が存在し、本件犯行には間接的ながら同人の存在が大きく影を落としていること、被告人は本件磁気テープを被害会社の競争会社に直接売却したのではなく、Yらに対してもその出所を最後まで明かさなかったこと、被害会社の本件磁気テープの管理は必ずしも十全ではなかったこと、被告人は苦学力行の末被害会社に就職し、十数年間有能なコンピューター技術者として真面目に勤務した者であり、前科前歴もなく、妻との別居後も長女に対しては変らぬ愛情を注いでいたこと、本件発覚により被告人は被害会社を懲戒解雇され、また、新聞報道等によりその氏名等を公表されるなどして相当程度社会的制裁を受けていること、被告人は、本件逮捕に先立つ任意の事情聴取の段階から捜査機関に対し本件を含む一連の犯罪行為を自供し、反省の情を示していること、保釈後妻との同居を回復し、被害会社従業員との間に事務引継ぎを行っていること、義弟が被告人の将来の監督を誓約していること等被告人のために種々斟酌すべき事情もある。

三  そこで、以上の諸情状を総合考慮し、本件起訴事実があくまで磁気テープ一巻の窃盗であることにも配慮し、被告人の可及的速かな社会復帰を可能ならしめるよう主文の刑を量定した次第である。

(求刑 懲役一年六月)

よって、主文のとおり判決する。

(裁判官 渡邊壯)

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